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22年10月より青年海外協力隊隊員としてモロッコに派遣されています 私の足跡や思いを綴ります 


by footstep7-7
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青年の家での活動

 青年の家での午前中の活動時間は10時から12時。とはいっても1週間の中で午前中青年の家にいるのは火曜日・木曜日・日曜日のみです。(他の日は幼稚園に行っています)
 どうもこちらの学校でのカリキュラムがいまだによくわからないのですが、平日の午前中、たまに小学生や高校生が来ます。今日来た高校生は、「新しいプログラムが始まり、10時から12時まで授業がない」と言っていましたが・・・。
 そんな午前中、来る子どもたちの多くは卓球をしています。大分前に卓球について話をしましたが、相変わらず卓球をやりに来る子は毎日10人前後。メキメキと腕を上げています。近いうちに、他の街の青年の家に行き、練習試合みたいなものをやりたいと考えています。
 
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 子どもたちが来ない日には、その日の午後や他の日の活動の準備や所長と活動について話をしたりしています。
 

 午後の活動時間は16時から20時。曜日によりますが、子どもたちと一緒に遊んだり、日本語教室や卓球の試合・練習をしています。
 子どもたちと遊んだりと言いましたが、日によって、子どもたちのやりたいことに合わせてできることをやっています。今日は・・・
 
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 最近、音楽教室をやりたいと真剣に考えています。できたら聴いている人に感動の涙を流してもらえるような音楽です。モロッコに来て、人々が何かに感動して涙する場面を見たことないんですよね。

 最近少しずつ暑くなってきています。もうスイカやメロンも売っています。今は美味しくないから買わない方がよいと言われ買っていませんが。
 冬にはあまり見られなかった花もあちこちで咲き始めました。
 
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 そして、
 
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 日本から持ってきたこの帽子、ようやく役に立つ時が来そうですよ(笑)
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by footstep7-7 | 2011-04-27 16:31 | 7ヶ月目

手形

 最近、活動のこと書いていませんでしたね。ちゃんと?活動しています。
 昨日の午前中は幼稚園へ行きました。
 幼稚園では、前々からやろうと考えていた身体測定。身体測定と言っても機械や道具は何もないので、自分の用意できる範囲でということで体重、身長、視力のみの測定です。
 目的は、体重の増加の状況によって順調に発育をしていることを確認すること。また、体重と身長の伸び方によって健康状態を知る。もし何か問題があれば、それに気付くことです。今回特に大きな問題はなかったように思いますが、継続していく中で見つけられることもあるかもしれないので、最後までやり続けたいと思います。
 そして、もう一つ自分の中で目的がありました。
 
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 片面は測定の記録。片面はそれぞれの子どもたちの手形です。 まだ小さくてかわいらしい手形です。
 卒園するときに、この記録カードをお母さんに渡そうと思っています。そして、子どもたちにどんな大人になってほしいかを書いてもらい、子どもたちが大きくなった10年後、20年後に子どもたちに渡してほしいと伝えようと思っています。
 日本の幼稚園では当たり前のように登園したらシールを貼る手帳や台紙があり、他にもいろいろな思い出になる物をもらったりしますが、ここではそういったものが渡されないので少しでも記念になるものを作って渡してあげたいと思っています。
 
 次回は青年の家での活動について。
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by footstep7-7 | 2011-04-21 22:19 | 7ヶ月目

駱駝

 さて、前回健康診断に行った話をしました。その際、同期の友人の1人が健康診断前にリッサニに来てくれました。
 日本の皆さんがとても苦労している中、のんびり過ごすのも申し訳ないと思いましたが、
せっかくリッサニに来てもらって砂漠に行かないわけには行きません。前回行った時とは少し違う場所へ行き、綺麗な景色を見ながらいろいろな話をしてきました。有意義なひと時でした。
 
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 ちょっと気分転換に質問はいかがですか?
1、私たちが乗った駱駝の足跡はどんな形をしているでしょうか?
2、私たちが乗った駱駝のこぶはいくつでしょう?
3、駱駝の寿命は・・・25歳までだそうです。では、駱駝が人を乗せたりして働くのは何歳から何  歳まででしょうか?

 答えは1番下に書いておきます。
 現地の人の話を聞くと、やっぱりそこで生活を営んでいる人にしかわからないことがあり、話を聞くことも面白かったです。

 
 もう一つ。
 駱駝に乗って宿泊するテントに着きました。すると、すぐに小学生の子どもたちがお土産を売りにテントまでやってきました。子どもたちが袋から取り出したのはこれ。
 
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 子どもたちは、話すこともなく笑うこともなく、ただじっとこの駱駝を並べ買ってもらうのを待っています。子どもたち自身がこういうことをしたくないことは、表情からすぐに読み取れます。後で事情を知っている方から話を聞くと、お母さんが作ったものを子どもに売らせるそうです。想像した通りでしたが、少し切なかったです。

 最近、このブログを見てくれる方が増えています。嬉しいです。本当にありがとうございます。
 では質問の解答です。

 1、ハート形(写真撮り忘れました・・・)
 2、こぶは1つです。中東に生息するラクダはひとこぶ駱駝です。日本での駱駝のイメージは2つじゃないですか?
 3、4歳から17,8歳まで働くそうです。駱駝も重い荷物や人を乗せ大変です。ちなみに駱駝もたまにつまずいたりする時があるんですよね。ちょっと怖かったです。
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by footstep7-7 | 2011-04-19 23:04 | 7ヶ月目

 今週は首都ラバトに行き健康診断を受診してきました。(協力隊参加者の義務です)
 身長・体重・血圧の測定
 血液検査
 レントゲン
 検便・検尿
 予防注射2本
 モロッコに来てお酒を飲まず、日本にいる時によく食べたコンビニで売っているデザートも食べていません。(リッサニでは両方とも買えないだけですが・・・)毎日基本的に自炊です。ちゃんと野菜も食べているし健康には問題ないと思っています。ちなみに引っ掛かると再検査・・・。



 そして、この健康診断を機に同期の仲間9人と約5か月ぶりに顔を合わせました。互いに任地が離れ、活動も忙しく全員で集まることはできませんでした。話を聞くと、私生活・活動共に皆が様々な苦労をしてきたようです。それでも久しぶりに会ったこの日は互いに元気に顔を合わせられたことを喜びました。

 同期って特別な存在だと改めて思いました。
 派遣前に訓練所で2カ月を過ごし、モロッコに来てからの初めの1ヶ月も一緒に研修を受けるなどしてきた同期。5か月間、互いに会うことはできなくても互いのことを思い合っていたことを感じることができたからです。おそらく、また全員で集まることができるのは半年後。半年後は、中間報告会があります。各々が活動を始めてからの1年間の振り返り、2年目の目標・課題を省庁の人たちや他のボランティアに報告するというものです。また半年間全員で集まれないだろうことは寂しいですが、また会えることを楽しみにするとともに皆の活動の成果を聞くのがとても楽しみです。
 
 
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 同期の皆で食事をしました。モロッコの中では素敵なレストラン。
 皆で会えなかったこの5か月間で誕生日を迎えた皆にプレゼントを渡したり、皆から渡されたり。

 4月18日で赴任187日目になりました。任期の約4分の1が過ぎました。
 ある一定の時間が過ぎ時、その時間を振り返って「あっという間だった」という声を聞くこと多いですよね。実は私もこの半年間をそんな風に少し思ってしまいました。過去を振り返り、「あっという間に過ぎてしまった」と思うことは自分にとってはあまり良くないことだと思っているんです。  私の活動先の青年の家は8月が休み。幼稚園は7・8月が休み。もうじき小学校での活動も加わりますが、こちらも幼稚園同様に7.8月休みです。残り2ヶ月間が自身の活動の1つの節目になりそうです。
 とりあえず休みに入るまでの2ヶ月半、「あっという間に過ぎてしまった」とは思わないように、たくさん悩み考え抜いて動いていきたいと思います。
 
 
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by footstep7-7 | 2011-04-18 05:35 | 7ヶ月目

現実3

 
 福島県で教員をしていた時に同僚だった方からメールをいただきました。(4月8日)
 前回同様、福島県内の地名が多く出てきます。わかりにくい所もあるかもしれませんが、実情を理解するには十分かと思いますので、ご理解のほどよろしくお願いします。


 今の福島県は、やはり原発避難区域以外は復興に向けて頑張っていて、避難区域の人たちは散り散りバラバラ。学校の生徒は転校が相次いでいるようです。そして、避難区域内で生活していた人々は帰れる見込みはなく長期化必至。しかし、貴重品も何もかも置いてきてしまったので、最近人々が心配で取りに帰っているのが放射性物質の拡散の危険性があるからだとか。政府は安全に一時帰宅できるための計画を練り始めているそうですが。

 かく言う私たちも先月31日に一時帰宅してきました。
 病院の母と姉に娘を預け、○○を若松市内(会津)のペットショップに預け、カッパとゴム手袋、くつを買って行きました。母子手帳と保険証、へその緒、育児日記、銀行印など、多くは子どもの物を持ち帰ってきました。家の中は、地震で落ちたものが散らかったままで、冷蔵庫から飛び出した食品の腐敗臭が漂っていて、片付けもできないんだ…と悲しくなりました。
 両親が飼っていた犬は元気でしたが、当然被曝してるし、子どもへの2次被曝の恐れもあるしで、今連れて帰るのは難しいと判断し、8kgの餌を2袋まいてきました。車に乗ると、鳴きながら走ってついてきました。「置いていかないで」って。涙が止まらなかったです。

 家の近くにも犬が何匹もいて、痩せてガリガリになっていました。噂では自衛隊が餌をまいてくれているとか、綱をほどいて放犬しているとか言うけれど、実際弱ってる犬はいたし、つながれたままの犬もいました。早く政府で何とかしてほしいです。

 学校…義務(小学校・中学校)は市町村ごとの判断で、浪江町はまだ目処が立ってないらしいです。双葉町は埼玉県に集団避難しているので、そちらに一時転校。大熊町は会津若松市に集団避難して体育館などで授業を実施するらしいとニュースでやっていました。
 高校は生徒が一番集まりやすい学校を拠点校とし、空き教室を借りて実施。避難所が遠く拠点校に通えない生徒はサテライト校という各地区に定めた学校で近くの教員が教えるとなっていますが、実現できるのかどうか…。
 教員の学校の配置は未定で、どこに行かされるのやら…。家族(教員同士の夫婦)でバラバラの地区に配置されることもあり得て、特に子どもの学校がある先生方は生活できるのか不安でいます。

 私たちは子どもへの放射能の影響を考えると心配なので、会津に住むことにしました。場合によっては高速道路を使っての通勤です…。でも、仕事があるだけマシですね。仕事もない、貯えもない人はたくさんいるはず。終わりの見えない不安が襲います。市営住宅は空きがなく、民間のアパートを国が一括借り上げするとか方法はないのでしょうか。
 でも、ウチは犬がいるからダメみたいです。これから住めない家のローンを払っていかなければならないって言うのに…トホホ。避難区域の市町村間でも支援格差があって、かたや旅館に泊まれて、かたや避難所で雑魚寝…。東電からの説明もなく不安不満爆発だそうです。


 このほかにも、学校では養護教諭の採用が取り消されたという話もありました。このメールを送ってくれた方同様に、こういう時だからこそ養護教諭が必要なのではないかと思います。これからの日本を担う人材を育てるために大切なことが何かをきちんと見極めてほしいものです。

 
   
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by footstep7-7 | 2011-04-09 09:11 | 7ヶ月目

現実2

 前回と違う人からですが、同じ相馬についてです(3月29日、31日)
 多少、わからない地名なども含まれていてわかりにくいかと思います。そして既に知っている情報も含まれていると思います。

〔29日〕
 今、避難区域(原発の影響による)は飼い犬とかを自衛隊さんが綱はずしてて、道路に犬がたくさんいるって話でした。
 原町(南相馬市)には放射能のことで物資がなかなかきてないみたいです。ニュースにはなってないですが、餓死して人がいるって話をききました。

 相馬は水も出るようになって電気もあります!ガソリン、灯油はすごい行列ですが並べばなんとか入れられるくらいになりました!相馬はきっとまだいいほうで、すこし北に行った山元町だと、相馬までこないとガソリン入れられないし買い物もできなかったり・・・。近場でも状況は全然ちがいます。水が出るとこもあればまだ出ないとこもあります。

 あと、飯舘あたりや福島で水、野菜、牛乳に放射能が含まれるってことで福島の食べ物が受け入れてもらえなくなっています。放射能が大丈夫なものでも福島というだけで懸念されてるみたいです。
 今後の福島はどうなってしまうのでしょうか。
 なんで東京の電気を福島でつくったんだ。って意見もでてます。

 相馬の海は見たら泣きたくなるほどなんにもありません。瓦礫だけです。自然の家があった磯部はまっっったくなんにもないです(泣)
 船も家もなくて漁師さんはどうなるんでしょうか。
 相馬の自慢の水産物、農産物もおだめなんでしょうか。考えるとすっごくかなしいです。
 栄養士になれて、こどもたちに相馬のおいしい地場産物をたくさん教えてあげれる、食べさせれると思ったのに。

 私の同級生でなくなったこも2人いました。
 後輩とか、高校生も山元の自動車学校通ってた人とかたくさん亡くなったそうです。

 あとは、福島郡山いわきで地震で食料が与えられないとかで刑務所の容疑者を釈放してたとか言ってました。そうでなくても被災地で強盗とか盗難が起こっています。津波にあった銀行から4000万なくなったり津波に流された遺体からお金をとる人もいるそうです。治安もわるいし、最悪です。


〔31日〕
 世界が協力してて、戦争時代がうそみたいですね!

 地元もがんばります!
 めげずに、くじけず、次世代にないます!!  
 相馬の海はこの○○が!!(笑)


 
 最後に書いてある「めげずに、くじけず、次世代にないます!!」という言葉。「相馬の海はこの~が!!」という言葉。
 頼もしく感じるとともに、もし自分が東京や埼玉に住み続けていたらこの気持ちわからなかったような気がします。こういう言葉に共感し、日本へ帰ったら自分もと思わせてくれるのが相馬という街でした。そこに住んでいた人々でした。
 
 
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by footstep7-7 | 2011-04-02 09:22 | 6ヶ月目